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五稜郭
2008年 04月 30日
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夜勤明けで眠かったけど、今が盛りということで行ってみた。
100mくらいの展望タワーがあり、そこからの眺め。
ほんと面白い形です。
桜、より、この形です、やっぱり、関心を引くのは。
すべてはこの辺から始まるんだろうか、やっぱり。
ぺるり。
浦賀に続いて1854年、函館にもぺるりがやってきた。
交渉しに来たわけだけど、けっこう悶着があつたようです。
そもそも、現場である松前奉行では、函館が開港したって幕府から知らされてない地点から話をしなきゃならなかったので、まあ大変だったのでしょう。
このときに、写真が伝えられたりしたようです。
水兵が死んで、それが外国人墓地になったということです。
幕府はこれはやばいということになったのでしょう。
松前藩領を除いた蝦夷地全域を直轄領にして、ハコダテ対応の役所・函館奉行を置いた。
(この建物は、現在復元工事中。)
海岸砲台を作った。
んでこの五稜郭も作った。
作った人は、武田斐三郎という人。
オランダ語の本一冊を読んで作ってしまったという天才だったようだ。
このオランダ本のネタは、ルイ14世に仕えていたフランスのヴォーバンという軍人。
五稜郭みたいな形(多角形星型=稜堡式城郭)の築城方式を確立した人だ。
中世のおとぎ話みたいなお城だと、大砲の飛距離と威力が進化してくると、すぐやられてしまう。
石造のお城に砲弾が当たると、その破片が飛び散って余計に被害が大きくなる。
標的になりにくいよう城はできるだけ低くしなければならないし、城壁は石なんかより衝撃を吸収する土塁の方がいい、となっていく。
星のような形は、攻撃時の死角をなくすという意味合いがある。
同時にそれは、目標を複数の地点から攻撃できる利点にもなり、とても合理的な形だということになる。
本体から突き出している島状の部分をラヴェラン(半月堡)という。本体への通路や橋を守り、近接攻撃を第一線で防御する。
フランスはもちろん、アメリカ、カナダ、イタリア、オランダ、フィンランド、ドイツ、ロシア、そして日本やベトナムなどでも稜堡式城郭が作られるようになった。
こうした城を持つ国の都市が集まって、たまに世界星形城郭サミットというのを開いている。
・・・GoogleEarthでそういうのを探していると、軽く3時間はたってしまう。眠い。
30箇所くらい見ることが出来たうち、もっとも美しいのはコレ。
フランスのリールにある。
もちろん、五稜郭も均整がとれていて素晴らしい。
このあたりは衛星写真の解像度と、撮影した時の光の状態なんかも関係してくる話。
さて。
榎本の蝦夷共和国が五稜郭に入城・占領して明治元年。
翌年には新政府軍が青森から進攻し、土方戦死・榎本降伏・蝦夷共和国消滅となったのが翌明治2年。
その後の五稜郭のことを調べてみると、これがあまり使われていない。
練兵場になったり、砲兵部隊が置かれたこともあるけど、大正2年には市に譲られて、さくっと公園になっている。スケートリンクになってみたり、史跡に指定されたり、博覧会の会場になったりと、「一般の利用」の場となっている。
明治32年に要塞地帯法というのが出て、同時期に函館山に大規模な要塞が建設され始めた。
函館港・津軽海峡の守備を考えれば、山にあって当然。山全体が要塞化されて、太平洋戦争が終わるまで、地図にもない山だったし、シャシンを撮ってもだめだったくらいな軍事機密。
そんなことも関係して、五稜郭の意味がなくなっていったのだろう。
と、同時に、港や海峡を守る海岸要塞は別として、
「城」というものが、更に時代が進むと意味のないものになっていったようだ。
コストがかかるし、今度は大砲じゃなくてヒコーキにやられる時代がきた。
城はなくなり、現代の城と言い得るものは、「塹壕」になったということだ。
で、ここで花見が出来るんですね。
五稜郭の裏側(北)には、ひっそりと四稜郭というのがあります。
せかい・デカイ
せかい・廃れ行く
日本にも実はもう1個五稜郭があります。
長野県佐久市。
小学校になってます。
by plaster_er
| 2008-04-30 23:53
| 北 に くらす
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